青森県上北郡七戸町字町7-2
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2019/02/07
  「子どもの頃に寺院や神社が近所にある地域で育った人は、そうでない人に比べて幸せを感じているとの調査結果を、大竹文雄大阪大教授らの研究チームがまとめた。」という産経新聞の記事がヤフーニュースに載っていました。大竹教授は「神仏や他人に見られている感覚を持つことで正直になり、人間関係が良好になるから幸福度が高まるのではないか」と推測しているそうです。「自分の幸せ」とは何かを考えた時、「○○があれば」「△△ができれば」など自分の願いが満たされた時のことを考えがちです。しかし、この研究結果からは「自分を正して周りと関わる事こそが幸せを感じられる」という事が示唆された調査結果と言えるのではないでしょうか。
  6月の徳目は「生命尊重(せいめいそんちょう)」「命を大切にしよう」ということです。命を大切にするということは命を「生かす」こと、文字通り「生き生き」と生活することだと思います。そして、生き生きと生活するためには自分を大事にすることです。その「大事にする」というのは何も自分に優しくすることだけではありません。自分に厳しくし、甘やかさないこともまた必要なことなのだと思います。適度に欲を抑え、他人の心を「推し量る」ことで人間関係も良くなり、それが周りと周りの命を大事にすることにも繋がるのではないでしょうか。互いを大事にするからこそ幸福度が高まるのだと思います。お寺の保育園として、仏教保育を通し、子どもたちが自分を律しつつ周りと関わり生き生きと輝けるよう、今後も向き合いたいと思います。
  最近世間を賑わせた「他人の心を推し量る」という意味の「忖度(そんたく)」。マイナスイメージが付いてしまいましたが、今回の「推し量る」は純粋な意味で用いているという私の思いを忖度して頂けたら幸いです。(2017.6)

活性

2018/11/01
 「はなまつり」というお釈迦様の生誕をお祝いする仏教行事があります。お釈迦様は、お生まれになられてすぐに七歩歩き、右手で天を左手で地を指さして「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とおっしゃったと言われています。この「天上天下唯我独尊」、現代では「自分が一番偉い」といったような、尊大な意味として捉えている方も多いのですが、本当は「私たちそれぞれは、この世界中にどこを探しても他に代わりのいない尊い存在である」という意味が込められております。子どもたちには少し難しい内容であるため、花まつりの日には、本園の保育目標である「明るく」「正しく」「仲よく」に繋がるような内容でお話しをします。「明るく」生活することは、自分の命を輝かせることに、「正しく」生活することは周りの命に気を配ることに、そして「仲よく」生活することは互いの命を大事にすることに繋がります。これこそ「天上天下唯我独尊」を表しているものであると感じます。
  6月の徳目は「生命尊重(せいめいそんちょう)」です。「命を大切にしよう」ということですが、子ども達にとって「命を大切に」という言葉だけではピンときません。そして私たち大人もこのことを説明する時、「食べ物を粗末にしてはいけない」「生き物にいたずらしてはいけない」など「~してはいけない」という、どちらかというと後ろ向きな思考を思い浮かべがちです。しかし、非常に難しいことではありますが、より「活かす」視点で命と向き合うことが大切ではないかと感じます。
  仏教保育ならではの良さを生かしながら、子どもたちがイキイキと自分の命を輝かせられるよう、そして自分と同じくらい周りの命も輝かせられる人になれるよう、これからも保育に取り組んで参りたいと思います。
  私が少し肉付きがいいのは、「食べ物を粗末にしてはいけない」と考えているからです…と、苦しい言い訳はやはり後ろ向きな思考になってしまいます。(2016.6)

「楽観」

2018/06/18
  「孤独のグルメ」という番組をご存じでしょうか。元々はグルメ漫画をドラマ化したもので、松重豊さん演じる「井之頭五郎」が仕事の合間に立ち寄った店で食事をする様子を描いたドラマです。このドラマは料理のうんちくを述べるのではなく、ひたすらに主人公の食事シーンと心理描写を綴っているという点が特徴的であり、一見とてもシュールな内容ですが、気づくと見入ってしまいます。実際、深夜の番組ながら視聴率が良く、シーズン7まで制作されている人気番組です。マンガの購入者も4割が女性だそうで、男女関係なく人気のようです。シブい男性なのですが、「腹がペコちゃん」「昼なのにヨルダン」等といった親父ギャグをさらっと言うところもウケている理由なのかもしれません。
  主人公は決して高級なものを食べるわけでなく、とにかく食事を楽しんでいます。その様子は達観の域に達しており、正に「いただきます」「ごちそうさま」の意味を体現しているようにも見えます。少し大げさかもしれませんが、与えられたる天地の恵に感謝している姿勢が、そこに感じられました。
  6月の徳目は「生命尊重(せいめいそんちょう)」です。「命を大切にしよう」ということですが、「命を大切に」という言葉は子ども達にとっては分かりづらく、どうしても「食べ物を粗末にしてはいけない」「生き物にいたずらしてはいけない」など「~してはいけない」という禁止行為のような、命の保護を目的とした、どちらかというと消極的で悲観的な思考を思い浮かべがちです。しかし、生命尊重とはもっと前向きであるべきだと思います。そして本園の保育目標「明るく」「正しく」「仲よく」が生命尊重につながる行為であると考えます。「明るく」生活することは、自分の命を輝かせることに、「正しく」生活することは、周りの命に気を配ることに、そして「仲よく」生活することは、互いの命を大事にすることに繋がり、命をイキイキと輝かせる、楽観的な思考へと導いてくれます。命をより活かす視点で物事を考えていきたいものです。
  文章を考えていたら、「腹がペコちゃん」になってきたので今日はこのくらいにしておきます…(2015.6)

「いただきます」と「ごちそうさま」

2018/05/12
 友人と食事に行くと、よく「お坊さんは肉とか魚とか食べられないんでしょ?」と聞かれます。仏教には「不殺生戒」というきまりがあり、生き物を殺生してはならないということから、多くの方がそう考えているものと思います。しかし、考えてみると肉や魚だけでなく、米や野菜、果物にも命はあります。また、普段歩いているだけでも目に見えない虫を踏んでいたり、病気になれば薬を飲んで細菌を退治しています。つまり、言葉の通りに捉えると私たち人間は生きていくことができません。より良く生きるための戒が、これでは全く意味をなさないことになってしまいます。そう考えると、言葉の奥深くにある真意を考える必要があるのではないか、ということにたどり着きます。
  この「不殺生戒」とは「生き物を殺す殺さない」ということが問題ではなく、「頂いた命のエネルギーをどんなことに使うのか」ということが重要だと考えます。私たちの命は、様々な命のお陰で成り立っています。だからこそ、頂いた命のエネルギーを、自分のためだけでなく周りのために回し向けることが、頂いた命を「活かす」ことに繋がるのではないでしょうか。食事の挨拶「いただきます」と「ごちそうさま」。「いただきます」とは「命をいただきます」という意味があります。また、「ごちそうさま」は漢字で「ご馳走様」と書き、自分のために食材準備に「奔走」してくれた方々への感謝が込められています。「不殺生戒」の本当の意味が、ここから見えてくるような気がします。
  6月の徳目は「生命尊重(せいめいそんちょう)」です。「生き物を大切にしよう」ということですが、周りのお陰で自分がいることに気づくことが、生命尊重の第一歩となると思います。また、生き物だけにとどまらず、物を大切にすることも命を大事にする心を育てることに繋がっていくのではないでしょうか。
  いずれにしても、食べ過ぎ飲み過ぎはいけませんね…(2014.6)